共同体のジレンマ
Community and Self
2018年9月8日(土)-9月30日(日)
大﨑土夢 織田真二 川原卓也 鈴木淳夫 鈴木孝幸 福永恵美 山口諒 大和由佳

2011年の6月、私は3週間ほど群馬県の中之条町に滞在していました。作品制作のために。展示場所は、何もない平らな場所。跡地。数週間の制作の日々の中、周囲の住民の方々との立ち話の中で、私はその場所の以前の姿について知ることとなります。
この辺りに校舎があって、用務員室はこっち。当時は何人くらいが通っていて、いついつ統合された。私は、給食を作っていた。
大岩第三分校跡地という名称のその場所には、今(当時)は小さな建物が一つ残されているだけ。そこは、背後にそびえる巨大な岩壁が目を引く、とても不思議な場所でした。
地面を掘って、地下に埋まっている目には見えない石を取り出して作品に使いたいんです。私のその言葉に対し、ここらの石は川から取ってきたんだ、という返答。急傾斜の上に立っていた校舎。石は牛に引っ張らせたそうです。続いて、谷側にスコップで土を盛り、斜めの土地を平らにしたこと、地域の子どもも一緒になって作業をしたことなど、当時の学校にまつわる様々な事柄が、次々と私の耳に入ってきました。そして、木造の校舎は、取り壊しの際にはその場で燃やし、その地下に埋めた、とのことでした。
周囲の環境と密接に関わりながら手を取り合って生きる人々の姿とともに、私はそこに、共同体をめぐって起こるサイクルを見たような思いでした。

生きていくために人と人とが手を取り合うこと。それはとても基本的なことです。私たちが身につけた、あるいは備わっていた、尊い力でもあります。一人の力では学校は建ちませんが、同じ目標を持った人々の集まりであれば、様々なことができる。それは、夢や希望、未来を思い描く貴重な手段とも言えるでしょう。

ただ、そのことについて手放しに賛美するだけでは、不誠実ではないでしょうか。
今は、その外側についても考えなければなりません。前述のそれは、あくまで特定の集団による夢や希望でもあるからです。外側には、考え方の異なる別の集団があるかもしれません。共同体同士の摩擦や衝突。信じるもの、価値の違いによる軋轢。情報が即座にかけ巡る時代において、後を絶たない悲劇はいくつも耳に入ってきます。一つの価値について盲目でないこと。今を生きる私たちにとって、それもまた大切なことと言えるでしょう。
また、その内側にも目をこらす必要があるのではないでしょうか。細部についても。
共同体は、個人に緩やかに強く影響を及ぼします。「私は」という主語が置換されるほど、人を規定するものでもあります。そんな中で、ある集団の求める規範や利益の裏側で、抑圧されてしまった人間がいないか、常に配慮する必要があるでしょう。全体だけが大切にされれば、個がないがしろにされる危険もあるからです。それは、巡り巡って、共同体の崩壊にもつながるのかもしれません。

さて。
ここでしたいのは、また別の話でした。
アーティストと共同体との関係はどのようなものでしょうか。

アーティストによる表現は、ほとんどの場合、個人による視点を含む、と私は考えます。それは複数人で一つの作品を制作する場合であっても、同じことでしょう。しかし、実際に彼らの表現が完全に独立した個人のものであるかと問われれば、必ずしもそうとは限りません。アーティストの背後にも、共同体の影が見え隠れするからです。
特定の考え方やものの見方。
美しさの基準もまた多様であり、それらは全ての人に共有されるものである、とは限りません。アーティストもまた、少なからず特定の価値を背負いながら生きています。それゆえ、場所が変われば作品は伝わらなくなる。反対に、伝わることだけを大切にすれば、表現が縮小する。そんなこともまた起きうることとなります。
共同体は時に、表現を分かりやすいもの、共有できるものへと留めておく、壁としての側面を合わせ持つのです。そして、時には表現の抑圧として働くこともあるかもしれません。とは言え、一度その外側に出ると、摩擦や衝突、分からなさ、作品に対する無理解や誤解が待ち受けていることもまた、確かなことです。ただ、越境を恐れれば、当然表現はみるみる小さくなっていきます。また、例え壁を超えることができたとしても、そこが新たな共同体の内部である可能性についても、言い添えておかなければいけないでしょう。
一方、内側について。特定の共同体の内部でのみ通じる話は、およそ開かれたものではありません。そこには、共同体に寄り添うことで抑圧された個人、個性があるかもしれません。それは言うまでもなく、無意識に放棄してしまったものとして。けれども、個の性だけを頼れば、それは、共同体と同じく閉じた空間を生み出し、表現もまた閉じてしまうことでしょう。
どちらも、表現の壁を内包する。構築する。その場所はとても、ジレンマに満ちていると言えるのではないでしょうか。

価値が多様化、際限なく広がっていく世界において、正しさの基準も世界の中心も揺らぐ時代において、一人の人間が特定の共同体の中を生きることは、可能なのでしょうか。
作品の中に、共同体を超えて、一人の人がいる。開かれた個人が見えてくる。そこに、アートの、アーティストの可能性を見出したいと思います。それは、複数の個人による共同の可能性を含むものであるかもしれないし、アトリエにこもる一人の開かれた個人の姿かもしれません。そして、集団の中の個のあり方を見つめ直すものであるのかもしれません。純粋な個人は、共同体をまたぐこともできるし、移動することも、見渡すこともできます。そして、作品に新鮮な価値を見出すこともまた。

2011年6月、私は10日間ほどをかけて大小6個の穴を掘りました。その穴を見た時、自然と、「これは ぼくの あなだ」、と思いました。

鈴木 孝幸


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  • 大﨑 土夢

  • 大﨑 土夢 2018年 / 展示風景

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  • 山口 諒 [losing my body] / 2018年 / 映像インスタレーション

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  • 鈴木 淳夫 [彫る絵画] / 2013年 / 木製パネル、アクリル絵の具 / 120㎝×90㎝×3㎝

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  • 鈴木 孝幸 [一つの「絵画」をめぐる] / 2018年 / コミュニケーション、テキスト

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  • 鈴木 淳夫 「アトリエ 鈴木淳夫」 / 2018年 / 制作に必要な材料、道具、ときどき本人

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  • 織田 真二 [タイトル未定(60進法とCMYKプロセスカラー)] / 2018年 / キャンバスにアクリル

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  • 織田 真二 [CT: Pi(inch)] / 2018年 / パネルに麻布、アクリル、鏡

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  • 織田 真二 [CT: Pi(cm)] / 2018年 / パネルに麻布、アクリル、鏡

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  • 福永 恵美 [銀杏のリング] / 2018年 / 銀杏、絵の具

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  • 川原 卓也 [おくれてくるものたち] / 2018年 / 映像、テクスト

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  • 鈴木孝幸ワークショップ作品 
    [自分のいろと自分のいろ ―好きな色を使って、自分のカードと自分の旗をつくろう]
    新城市立東陽小学校5、6年生、新城市立鳳来寺小学校5、6年生児童、その他一家族によるワークショップ作品
    カードに水彩絵の具(色は個々人が選択)、布にシルクスクリーン(色は集団内の話し合いにより決定)

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  • 鈴木 孝幸 [サイクルとサイクルとサイクルと… place/I]
    2018年 / セメント、養生シート、砂、ガラス瓶、豊川での拾得物、豊川の水、ワイヤー、アスファルト補修材、鉄板、金具、映像、音声

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    2018年 / セメント、養生シート、砂、ガラス瓶、豊川での拾得物、豊川の水、ワイヤー、アスファルト補修材、鉄板、金具、映像、音声

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  • 大和 由佳 [蜘蛛とeveryone] / 2018年 / 映像:2分30秒  撮影 早川純一

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  • 大和 由佳 [喉を行き来するもの(世界人権宣言日本語訳文の第27条を主語を変えて読む)]
    2018年 / 声、ぶどうジュース、コップ、氷、テキスト[原文・訳文]、ガラス

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  • 大和 由佳 [喉を行き来するもの(世界人権宣言原文の発音のレッスンを受ける)]
    2018年 / 声、ぶどうジュース、コップ、氷、テキスト[原文・訳文]、ガラス

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  • 大和 由佳 [喉を行き来するもの]
    2018年 / 声、ぶどうジュース、コップ、氷、テキスト[原文・訳文]、ガラス

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    2018年 / 声、ぶどうジュース、コップ、氷、テキスト[原文・訳文]、ガラス

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